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【簡略仏教史】

人間は、どんな場合でも生まれた時代や社会環境と、無縁ではいられません。
後世に聖人偉人と称えられる人であっても、それは同じです。
むしろ、そうした身の回りの矛盾から目をそらさず、率直に認めて悩んだり苦しんだりする事
…そんな等身大の地に足のついた思索こそが、時代や社会環境の違う人達からも、共感を得るのだと思います。

仏教を開いた釈迦も、そうした一人でした。
ですから釈迦が説いた教えがいかなるものであったか考えるには、釈迦の生きた時代や社会を抜きにしては難しいでしょう。
残された経典からだけでは不可能だと思います。

釈迦の在世当時、インド社会を支配していたのは、征服民族であるアリアン人と、彼等の作り出した民族宗教でした。後のヒンドゥー教です。
そしてここから生まれたのが、一般にカースト制度として知られている、今尚インドにおいて社会問題となっている巨大で複雑な差別制度です。

差別はどこの社会文化でも問題なのですが、インドのそれはかなり独特なものでした。
基本的な四つの階級の一番下がいわゆる奴隷ですが、ヒンドゥー教ではさらにその下に身分の外にある雑種階級を定めました。
身分外の存在、一般にアウトカーストと呼ばれています。

彼等への差別がいかなるものであったか、「マヌの法典」からいくつか簡単に引用してみましょう。
定住してはならない、
犯罪者の処刑を引き受け、その死者から取った衣服を纏う事、
物乞いで得た食べ物のみを口にし、料理もしてはならない、
彼等に食べ物を施すのは壊れた食器である事、彼等が用いる食器も同様etc…

自分の影で回りを汚さないよう、公道を歩いたり道を横ぎってはならない時代もありました。
ほうきを持って歩き、足跡で他人を汚さないよう掃き消さなければならなかった時代もあります。
教育を受けてはいけませんでしたし、
もし教師の話を聞いたり聖典を耳にすれば、溶けた鉛を耳に注がれるきまりさえありました。
釈迦が見ていた古代インド社会の、これが現実です。

ヒンドゥー教には、輪廻転生という考え方があり、現在の苦しみは前世で犯した罪の報いとされます。
ですから、低い身分に生まれて苦しんでいる人を、解放してもいけないのです。

現代人も、刑務所に収監されてる人を、可哀想だからと脱獄させたりはしないと思いますが、それと同じ感覚と言えるかも知れません。
本当に犯罪を犯したのか、単に生まれや迷信が根拠かの違いはありますが。

釈迦はこうした考え方を否定し、人は生まれによって尊敬されるのではなく、現世の行いによって尊敬されるべきだと説きました。
そして自ら最下層の生活に身を置き、そこで自らを律して生活する事で、いかなる生まれの人であっても尊敬される「覚者」となれる道を説きました。
その教えの根底には、迷信の否定と人間の平等があります。

釈迦は、間違いだからと言って正面からヒンドゥー教を否定はしませんでした。
社会制度としてのそれは容認しつつ、自らの教団に「出家」して修行者となれば、もはや世俗のカーストからは切り放された「魂のバラモン」であると説いたのです。
これが輪廻からの「解脱」であって、確かに多くの戒律を守り身を糺す必要こそありますが、低い階級のカーストに生まれた者や、当時虐げられ財産や道具と同じに見なされていた女性、
そして何よりアウトカーストの人たちには希望となりました。
バラモンとはカースト最上の身分を表しますが、
ヒンドゥー教に因ればけして救われない人達に、誇りある人生を得る方法を示した訳です。
こうして、多くの人が釈迦の教えに救われていきました。

釈迦の教えと彼の教団を、現代にそのまま再現する事にあまり意義はないでしょうが、その行動と平等の思想は見習うべきだと思います。
なにせ釈迦は、カースト制度によって保証された種族の長の身分も、それに由来する妻や子供の豊かな生活も自己否定した訳ですから。

さて、インド独立運動で有名なガンジーですが、彼は敬虔なヒンドゥー教徒でもありました。
ですから、インド独立に対する彼の貢献を疑う者はいなくとも、ことアウトカーストに対する身分差別撤廃に関しては、ガンジーに対する評価はあまり高くありません。
これは、日本であまり知られていない事実です。

インドでカースト廃止に貢献したのは、ガンジーの敵対者として時には支配者である英国とも手を結ぼうとした、アンベードカル博士です。
彼によれば、イギリス人のインド人に対する差別など、インド人のアウトカーストに対する差別に比べれば遥かにマシだと言うのです。

インドの学校の教室には、ガンジーと並んでアンベードカルの写真が貼ってあるそうです。
彼は独立後のインド最初の法務大臣となり、憲法草案を作成しました。
これにより、法的にはカースト差別は禁止される事になります。
彼を憲法草案の作成委員会議長に推したのは、ガンジーだったそうです。

1956年、アンベードカル博士はアウトカースト出身者約30万人とともに仏教に改宗しました。
「ヒンドゥー教を受け入れる事は私の自尊心が許さない。
 諸君(アウトカースト)を人間扱いせず、水を飲ませず寺院に入る事を許さない宗教は、宗教の名に値しない」
…こうした激しい憤りとともに。
釈迦の苦悩とたどり着いた教えは、こうして現代に受け継がれているのです。

ところで、アンベードカルの考えを受け継ぐインドの仏教者居住区には日本人僧侶もいて、人々から崇拝に近い尊敬を受けていると聞きますが、
日本の仏教が法華経などを根本とした大乗仏教を中心としている事を知ったら、人々の尊敬は失望と怒りに変わるのではないかと少し心配になります。
大乗仏典にはヒンドゥー教と同様に、前世の報いに原因を求めて、職業や生まれつきの差別を肯定して説いた表現も多いからです。
大乗仏典の多くは、釈迦の死から長い年月を経て、仏教教団の事情を反映してその都度作成されたものが多く、
執筆した僧侶が釈迦在世時の状況を知らずに書いたために、明らかに誤った内容も散見されます。

一例を挙げると、妙法蓮華経安楽行品には、アウトカースト出身者には近付いてはならないとありますし、普賢菩薩勧発品にもそれに類する職業差別があります。
これらの経典が釈迦の説いたものではない証左ですが、経典の内容を考えた僧侶が釈迦在世時に使われていた言葉の意味を良く知らなかったために、こういった混乱が起きたのでしょう。

一言弁護しておくならば、法華経は鎌倉時代に日蓮がその過激な部分を強調したために、他者を排斥する教えと捉えられがちですが、
本来は教えの是非を巡って争っていた仏教諸派の、融和と統合を目指して作成されたのではないかと思われる節があると言う事です。
法華経には、他の経典に登場する多くの仏や修行者や神が登場して、様々に法華経の素晴らしさを礼賛しつつ、
結局最後まで、法華経とはどんな教えなのか、具体的に明かされる事無く終ります。

これは、教えの本体は他に説かれた様々な経典であって、
それらが法華経に集約してひとつとなる様を描きたかったのだと考える事も出来ます。
そうした経典を作る事で、当時の仏教諸派の分裂と争いを調停したかったのでしょう。

法華経成立当時、その試みは成功しなかったようですが、
平安時代に最澄が、法華経を根本経典に据えた諸宗兼学の場として比叡山を開いた事は、法華経本来の精神を正しく反映しているのではないかと思います。

法華経では、釈迦に敵対したと伝えられる堤婆達多の救いが描かれるとともに、弥勒菩薩を釈迦の後継者たる超越した存在ではなく、一修行者として描いています。
この点では、万人の平等と救いが示されていると言え、事実インドでも日蓮以前の日本でも、
法華経は罪を洗い流し許す懺悔の経典として扱われました。

大乗仏典では、女性は救われ難い差別された存在として扱われましたが、そういった罪障消滅を願っても用いられたのです。
聖武天皇の時代に全国に作られた国分寺は、国を守るための功徳があると考えられた金光明経に基づいて創られましたが、
国分尼寺は、女性の罪障消滅を願って法華経に基づいて創建されました。従って法華滅罪乃寺と呼ばれます。

「朝題目夕念仏」という言葉がありますが、これも法華経の力で現世の罪を滅し、阿弥陀に来世での救いを願う信仰だったのでしょう。
私には、古い時代のこうした捉え方のほうが、法華経即ち『正しい教えの白蓮華』の名にふさわしいと思います。

法華経の中には、確かに偏狭な表現もあります。
これは、この経典を制作した一派が、当時非常に少数派だった事と関係あるかも知れません。
ローマ帝国の少数派として出発したキリスト教にも、同様の傾向がありました。
自分達は弾圧される少数派で、世の中の背後にサタンの霊がいて自分達に敵対している、
そしてその闘いに勝利して理想世界がやってくると言う考え方です。
これは聖書を引用するカルト宗教に良く利用されています。

いずれにせよ、どの経典にもそうした表現は大なり少なり存在しますし、それは仏教以外でも同じです。
どんな宗教のどんな教典にも、矛盾はつきものでしょう。
私自身は浄土真宗の門徒ですが、私達が信仰する阿弥陀如来が人々を救うために誓ったとされる48の誓いの中にも、女性差別は含まれています。

しかし、それを根拠に女性を蔑視するなら、それはまぎれもなく悪なのです。
法然も親鸞も、そんなことは薦めませんでしたし、「経典に書いてあるから」なんて言い訳にはなりません。

さて、最後にその女性差別についてですが、
釈迦は女性を蔑視していたかどうか、そのことに触れておきたいと思います。

大乗仏典のみならず、部派仏教の時代にも、女性差別の風潮はありました。
しかし経典を時代を追って見ていくと、古い時代のものほど女性差別の表現が少ない事が分かります。
仏教以前に成立した「アイタレーヤ・ブラーフマナ」という祭儀書や、インド最古の文献である「リグ・ヴェーダ」にさえ、女性蔑視の表現があるのにです。

仏教誕生から百年あまり後(一説には二百年ほど)、シリア王の大使メガステネースという人が、インドを訪れた際の見聞記をギリシア語で記していますが、その中に仏教教団に触れた箇所があります。
「インドには驚くべき事がある。そこには女性の哲学者達がいて、男性の哲学者達に伍して、難解な事を堂々と議論している!」

当時ヨーロッパ、北アフリカ、東西アジアを通じて、尼僧の教団は存在しなかったと言います。
それを作り上げた釈迦の、差別を認めない姿勢は、現代でも通用するものと言えるでしょう。

どんな家に生まれてどんな宗教を信じていようと、そんな事は関係ありません。
事実、原始仏典から推測する限り、釈迦は大抵既存の言葉を使って教えを説いたようですし、
差別は誤りであるとしながらも、ヒンドゥー教の神々やそれへの信仰は否定されていません。

現在、社会に多大な迷惑を掛けたり、信じる者を返って追い詰め、苦しめている宗教があります。それらには仏教系の団体も多いです。

その原因が教典のみにあるとは思いませんから、その誤りを指摘した所で問題の解決にはならないのでしょうが、彼等が大抵主張する自分達の教えの唯一性や絶対性、
もっとはっきり言うなら自分達だけが真実の教えを知っていると考える歪んだ優越感に対して、一言『否』と申し上げたいのが、私の本意です。

以上、素人なりに簡単ながら仏教の歴史をまとめてみました。個々の事例について、かなり説明が浅薄な点はご容赦下さい。
読まれた方に、何かしら伝わるものがあれば幸せです。


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