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マインドコントロールによる人格変化
マインドコントロールについては、心理学者のフレイヴィル・イークリーが、実に興味深い研究をしています。
スティーヴン・ハッサン著「マインド・コントロールの恐怖」に分かり易く紹介されていますから、そこから引用してみましょう。
>心理学者フレイヴィル・イークリー博士は、カルトのメンバーたちの心理的人間像(いわゆるサイコグラフ)のかなり突っ込んだ研究をおこなっている。
>イークリー博士は、主流系とカルト系のさまざまな宗教グループのメンバー数百人に対して、
>マイヤー・ブリッグス型指標(MBTI)という人格像の調査法を実施した。メンバーたちには三回アンケートをした。
>第一回は、元メンバーたちの現在の心の枠組み(観点)から質問に答えるよう依頼した。
>二回目は、彼らがそれぞれのグループに入る前の心の状態から質問に答えるよう依頼した。
>最後にイークリー博士は、被検者たちに「いまから五年経ったらこう答えるだろう」と思う答えを書いてくれるように依頼した。
>このテストを、彼は「ボストン・キリストの教会」「サイエントロジー教会」「ハレ・クリシュナ」「マラナタ」「神の子供(愛の家族)」「統一教会」「国際の道」の各メンバーに対しておこなった。
>結果としてわかった事は、テストで決められている標準的な特定のタイプに向かって、グループごとにメンバーの人格がかなり変わっていくということである。
>つまりカルトの人々はみな、そのグループへ入る時点で持っていたもとの人格とは関係なく、カルトごとに同種の人格性を帯びる傾向があるように見えた。
>私(著者であるハッサン氏)の考えでは、カルトは実はメンバーのもとの人格を抑えつけて彼らに新しい人格を植えつけるのだが(イークリー博士はこれを「クローン人間化」と言っている)、
>このテスト結果は、私の考えに興味深い支持を与えるものである。イークリー博士が私への手紙の中で説明してくださった言葉を使えば、次のような具合である。
>「"ボストン・キリストの教会"その他三つのカルトでは、変化はESFJ(外向的 extrovert・感覚的 sensing・情緒的 feeling・断定的 judging)という人格型に向かっていました。
>ふたつのカルトでは変化はESTJ(外向的・感覚的・思索的 thinking・断定的)の型に向かい、もうひとつのカルトではEITJ(外向的・直観的 intuitive・思索的・断定的)に向かっていました。
>これら三つのタイプは、それ自体なにも悪くありません。問題は、そのどれかひとつに順応させてしまうプレッシャーにあります。好ましくないのは変化そのものであり、変化していく先の人格型ではありません」
ここまで読まれた方には、「あれ?宗教って元々そういうもんじゃないの?」と疑問に感じられた方もおられるかも知れません。
しかし違うのです。これについては、いずれ別項に述べてみたいと思いますが、イークリー博士の実験でも、それは以下のように確認されています。
>これとの比較で、バプテスト、カトリック、ルーテル、メソジスト、長老派その他の「普通の」キリスト教会のメンバーに対してもテストが行われた。彼らには、時間がたっても心理的な型に何も目立つ変化がなかった。
>つまり、特定の人格型へと順応させるプレッシャーを示すものが、何もなかったのである。どの教会に入ろうと、人々の基本的な人格の型はそのまま残っていた。
「カルトとマインドコントロール〜基礎編〜」でも解説しましたが、カルトというのは何も宗教関係だけではありません。
それらの内、心理療法・教育カルトに分類される自己開発セミナーの類に、何故企業が費用を負担して社員を送り込むのか、その構造の一端がここから見えてきます。
全てのセミナーがそうだと断言は出来ませんが、マインドコントロールがこういう性質を持つ以上、これらを利用する事で、企業にとって理想的な人格を「量産」出来る可能性もあるわけです。
ですからカルトの内部は、いくつかの凶悪な事件から連想されるような、殺伐とした面ばかりではありません。
地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教のある脱会者手記では、オウムに魅かれた理由を「皆一様に穏やかで応対が好いところ」だったと回想されています。
恒友出版の「マインド・コントロールから逃れて オウム真理教脱会者たちの体験」からいくつか抜粋してみましょう。
>オウムの人たちは…基本的に優しい人たちが多く(もちろん一部にそうでない人もいる)…それぞれの個人的目的が一つの目的へと集約されているので、一体感を感じるのです。
>そこではオウムの仲間内でだけで通じる言葉「オウム用語」で会話が成り立ち、共通興味の話題だけが話し合われるのです。
>オウムではそれを「変な奴」と遠ざけたり、馬鹿にしたりしません。
>だいたいが和気藹々とした雰囲気で、たまにオウムでいうステージの高い人が厳しい提言をして、その場が引き締まるといった感があります。
>傍目から見るとえらく戦々恐々としているようですが、案外本人たちはそんな風に感じているのです
>個々の求めているものは違っても、それは結局一つの目的へ集約されていきます。すべての生き物、とくに全人類の救済です。
>指導者側は、常に最高のものこそ正しく、それが身に付けば望むものは後から勝手に入ってくるという論調で攻めてきます。
>で、ふと気が付くと、全人類の救済へ向かってまっしぐらとなっているのです。
>(脱会に重要な事は)一つ目は、教団の言うことを鵜呑みにせずに、調べることが可能なことは、自分自身で見聞きして調べる事。
>二つ目は、常に片方だけの意見を聞かずに、さまざまな意見を聞いて比較対照する事。
>多くの人が悲しいかな
>◎「病気が治る、幸せになれる」という物質的な現世利益にひっかかった。
>◎「解脱だ、悟りだ、神秘体験だ」と、大乗仏教的な教えを学び、「人を救うぞ!」と精神的な自己満足にはまった。
>◎「対立し、妨害するやつは、悪業で地獄へ落ちるぞ!」「妨害させるな!悪業積ませるな、正義でないものとは妥協するな」…と慢心におちいって、排他的なカルト教団になってしまった。
>何度も何度も同じことを唱えているうちに、自己暗示にかかっていき、強い志向性を得るようになりました。つまり、自己主張が激しくなっていきました。
>理論好きになり、相手の欠点を見抜くのが上手くなりました。自信が回復してくるのを実感しました。
>だから、だんだんオウムの人以外の話を聞かなくなりました。オウムには真実があると考えはじめ、それ以外の人たちはどこかで間違っている、怪しいという先入観を持つようになりました。
>「オウムは絶対に正しいんだ!」という信念が植え付けられていきました。
>それは何度も何度も唱えることによって、また、実際にオウムのいう修行をやることによって、あるいは、勧められて、布施は功徳になると信じて教団に布施することによって、
>どんどん自分がオウム真理教と結び付いて、自分の思想や生活、行動の基盤がオウムと同化していくようにして根付いていきました。
>私はオウム真理教を、次のような理由で、平和の道を説くはずの宗教として健全でないと否認します。
>一、独善的になっていて、社会的に融和する意思に欠けている。
>一、嘘をついても真理を守るためには仕方がない、結果的にものを考えていること、目的のために手段を選ばないというマキャベリズム的発想。
>一、戦争を容認していること
>一、差別を当然のものとして、能力至上主義になっている点
これを裏付ける記述は、アメリカでカルトに子供が入信した際の手引き書として親しまれているという「カルト――親が知っておくべきこと(邦訳版は朝日新聞社より「カルト教団からわが子を守る法」として1995年出版)」にも見る事が出来ます。
そこにはカルトに入ってしまった子供の変化として、「ちゃんとした身なりをするようになった」「瞑想を始めて落ち着いてきた」「難しい言葉を使うインテリの友人が出来た(私見としては、そんな事のどこが嬉しいのかと思うが…私がバカだからか?)」などが挙げられていて、これらに幻惑されてしまい、一方の好ましくない変化を親が見逃してしまう危険が語られています。
では、何が問題なのか。それを探る記述を、上記の本からもいくつか見い出してみましょう。
(教祖は)信者に絶対的な服従と信奉を要求する。…ごく個人的な選択(結婚等)、道徳(信仰の名のもとに嘘やごまかしを肯定)から政治上の選択(だれに投票すべきか)まで、教祖に頼りきるようにもっていく※()内は引用者著述。
世界に愛や平和を広めるというのは表向きのことで、しばしば不寛容に自分や信者仲間とそれ以外とは、異なる存在だという見方をする。その結果、カルト外の世界に対し、がんこな妄想にとらわれた見方をする。
自分たち自身のための聖なる本やマニュアルを出版することがある。…(まったく新しい教えを発明するか)聖書のような伝統的なものを土台にしていると主張するが、(その場合)本当はねじまげ、歪め、盗用し、間違って解釈している。あるいは、教団の考えを促進させるように文脈に無関係に引用してしまう。
つまり以上の事からも、変化は結局カルトの内と外を分け閉鎖的になるよう向けられている。親切や善意も、メンバーや勧誘しようとしている相手にのみ向けられるよう操作されているから、問題だと言えるのでしょう。
はっきり言ってしまえば、そうインスタントに人生の悩みが解決したり、素晴らしい人格者になれるはずはないのです。手品にはやはりタネがあり、世の中には魔法なんてないという証のひとつが、カルトとマインドコントロールの存在でしょうね。
最後にスティーヴン・ハッサン氏が、統一教会の戦略を端的に言い表した言葉を引用して、この論考を終えたいと思います。
『人々があなたを頼りにするまでサービスと援助をして、それから彼らをコントロールせよ』
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