
戦前の軍国主義を支えた国家神道と創価学会には、その底流に共通した志向を持っているように思います。
日蓮の四箇格言【真言亡国、律国賊、念仏無間、禅天魔】は有名でですが、
例えば道元なども法然の念仏を批判しています。
だからと言って、現在の曹洞宗と浄土宗の信者間に、それに由来する確執などあるでしょうか。
そんな昔の事をいちいち持ち出して相手を罵るのは、宗教以前に人として間違っています。
言ってしまえば、批判の内容は個人の宗教的信念に基づいたもの故に是非は問わないとしても、
それを猛烈な罵辞で行ったのは日蓮の誤りです。
こういうやり方は、必ず後の世に禍根をもたらします。
その良い例が、先に示した国家神道です。
これの思想的母体は、江戸時代の国学、分けても平田篤胤の思想が根幹となっています。
今日では想像しがたい事ですが、明治時代には平田神学は一大潮流でした。
【天子天台、公家真言、公方浄土、武士禅、日蓮乞食、門徒それ以下】
平田篤胤が仏教諸派をランク分けして言った言葉ですが、日蓮の四箇格言と似ていますね。
違うのは、ここでは日蓮が下から二番目だと見下されている事です。
下の二つ、つまり日蓮宗と門徒=浄土真宗は、これを根拠に国家神道から目の敵にされました。
罵詈雑言は、たとえその背景に正しい意図や信念があったとしても、
表面的な言葉の激しさのみが一人歩きを始めてしまい、信奉者達に差別と偏見を植え付けるものです。
私は四箇格言を根拠に、日蓮宗全体を批判する気はありません。
今の世にそんな罵辞は持ち出さず、ただその背景となった信仰を心静かに信ずるならば、それで良いのです。
今尚聖教新聞の四面のような手段を取る事が、間違っているだけです。
日蓮や平田篤胤や聖教新聞の座談会が犯した過ちと同じく、
そんなやり方は自分達への偏見は招いても、理解は得られません。
我が意を得たりと喝采するのは、熱に浮かされた人ばかりです。
たとえその真意がどうであれ、いかなる手段でそれを示すかはやはり大切です。
私たち一般人も無論そうですが、人に教えを説く宗教ならば尚更その点を自省するべきではないでしょうか。